経歴
神奈川県生まれ。現役看護師の傍らヒーリングサロン&健康コンサルタントを副業で経営。
出張と遠隔でもレイキヒーリングを行なっています。
施術回数は1,100回以上。看護の医学知識とチャネリング能力を使いながらお客様の心身症状にアプローチしています。
物心ついたときから就学前までは、空気中にものすごい数の微粒子のような白い光のようなものが降り注いでいるものが見えていた。母からは馬鹿扱いされ、次第に見えなくなったが、現在ではヒーリングをするようになり、また見えるようになった。人間の身体へ出入りしている様子がはっきり見え、多分これが生命エネルギーなのだと自分では感じています。
18歳~20代
高校卒業後は大手自動車会社でOL。バブル時代で繁忙の日々、度重なる残業から体調を壊し入院生活を経験。
植物好きから、自身で資格を持って仕事にしたいと当時のやりたいことに挑戦し生花店へ転職。国家資格のフラワー装飾技能士を取得する。花嫁のブーケから葬儀の花籠まで作成できる知識と技術を取得。生花店社長よりフラワーデザイン教室の講師なども任される。様々な植物の生態や生命力の美しさで囲まれた仕事にやりがいを感じる。
30代
結婚。あまり結婚したくなかったが自分の意思を尊重できず、毒親の母から駄目な人間と自己肯定感が低いまま元夫の言いなりになっていた。働くことを許さなかった元夫だったために生花店をやむなく退職する。
結婚5年してようやく授かった子供だったが、子供は欲しくなかった元夫から妊娠悪阻で家事ができなくなった自分へ今までよりさらにDVがひどくなる。妊娠初期に7針縫う怪我を負わされ、子供を守ることを優先し家をでると、元夫より離婚裁判の申し立てがくる。妊娠4か月で別居から離婚。
実家の母へ妊娠を告げると「気持ち悪い!」と罵られ、頼るところもなく一人で出産。
援助は得られず、妊娠期から昼夜問わず内職をし、産後は授乳のタイミングがつくと2〜3時間のパチンコ店の閉店後の掃除やホームセンターの早朝品出しをプラスして生計をなんとか維持。
唯一救いだったのが、息子が健康に成長してくれたこと。
何もない生活だったが成長する息子の姿があるだけで有難く楽しく幸せと感じていた。
育つ我が子をみているうちに、たとえ何もない母子家庭でも子供のやりたいことを叶えられる親になると心に強く想うようになっていた。1歳になった息子を預けながら仕事ができるところを探した末に病院クラークとして勤務できたことがきっかけで医療と出会う。
働く中で、ある看護師さんから、『社会人からでも看護師になれるよ』という情報を聞き、無謀にも35歳から定時制の医師会の看護学校の入試に臨む。
入学できてシングルマザーで、勤労学生となり、看護師の勉強と仕事と子育てと家事をこなす生活開始。子供を寝かしつけてからの勉強と家事で、睡眠時間2時間程度の毎日を5年間。心身共にギリギリの生活だったが、何故か医学はどんどん頭に入り、医師会から表彰され、看護学校を主席で卒業した。
看護師として勤務が始まり、幼い息子を託児所に預けながら夜勤を含む激務をこなす。
総合病院で経験を積み、生活のために看護師をこなしていた。
40代
看護師として、医療の実態への疑問や無力感も感じながらも、よりよい看護を目指すことへの意欲は減退することなく、患者様へより良い回復を図るにはどうしたらよいか知識技術を高めることへの探求は続けていた。
薬を使わずとも残存機能と生命の持てる回復力を引き出すリハビリ医療について学びを深め、回復期リハビリ病院に望んで転職し、回復期リハビリ認定看護師を取得。後半7年間役職として勤務。
50代
一時は露頭に迷うほど生きることに精一杯であったが、生活は安定し住む家もあり金銭的物質的には不自由なく生活できることに感謝する日々であるが、現代の医療の良さもある反面の矛盾がある中で自分の本来したいことへの疑問が再び湧くようになっていた。
また、現状、『看護師は病院に入院してから出会うもの…』で、入院までするような心身になってからでは、本来の回復はなかなか困難なことが多く看護の行き詰まりを感じていた。
以前の自分は、結婚当初に自分自身も疲労と精神的ストレスからか、蕁麻疹が止まらず、薬を飲み忘れれば全身に蕁麻疹が吹き出すというつらい状態を数か月過ごしていた。その頃はこれから一生薬で蕁麻疹をおさえなければいけないのかと不安で落胆していた。
ある時、レイキヒーリングを知り、半信半疑でヒーリングを受けると、その日から薬を飲まずに蕁麻疹が治まったことに夢かと思う程感動したのがレイキとの出会いだった。
50代になり、レイキヒーリングを身に着けたことで、自分の考える心身における人間の在り方を見いだした。自分の中では現代の医療での行き詰まりに光が差した。
はじめは無料で友人達へヒーリングを施術していたが、『どうしてもお金を受けとってほしい。じゃないと頼みたい時に頼めないから。』という友人の言葉から、起業することになった。
以前から考えていた、未病の段階も含め医療知識とヒーリングの自分の持てる知識技術を提供してよりよい健康へのアプローチができるようにしたいと考え、
2023年より夜勤のない訪問看護へ転身し、現役看護師継続しつつ、
2023年にヒーリングサロンmyself support(皆様ひとりひとりが自分自身を癒し支援できる)という想いを込めたサロンを起業し両立する。
サービスへの想い
私は以前から感じていた現代の医療での行き詰まりの感覚に、レイキを身に着けたことで光が差した想いがしました。
看護師をしていて常に感じていることがあり、それは『未病』=「発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態」を見逃さないことが大切であると考えています。
あの時にもっと身体を労っていたら…こんなになるまで頑張るんじゃなかった…という患者様を多くみてきました。
病院に行くまででもないけど、なんだか不調といった未病の段階で、自分の身体や心の声を聴き、癒すことを実行してあげられるのは、自分しかいないと過去の私自身をはじめ、後悔する患者様をみるたびに痛感します。
そして、私自身が生き方として、大切にしているものがあります。
それは、心身魂の健康が最終目的ではなく、健康は途中経過であること。
その人にとっての健康な心身魂を得て生きたい生き方で輝いていること。地球での自分の生まれてきた使命を思う存分発揮していくこと。それが目指すべきことと大切にしています。
また、病気や怪我、精神の症状になるには、悪いことばかりではなく、症状から自分への大切なメッセージであること自身の経験を持って感じています。
限りある肉体を持ちいたわりを学び、限りある肉体という器を使って、起こる事象に心身を研ぎ澄まして耳を傾けながら歩く人生にしていきたいと想っています。
今までの人生で、人間の生死にたくさん関わったこと、たくさんの経験をさせていただいたことで、本来自分がやりたかったお人のためのケアを自分の持てる医療の経験と知識技術、レイキヒーリングとチャネリングで、今を生きる困難さから少しだけでもお手伝いさせて戴くことにやりがいと悦びと感じています。
一人でも多くの方が、不安や苦痛から脱して、本来の生きる道を辿り、個々が悦び多く波動の高い世の中となるよう、微力ながらつとめることが私の悦びであり使命と感じています。
ふじねえ先生との関係性
出逢い:2024年5月
関係性:スピーチ講座のZOOM練習会で偶然出会った
呼び名:ともちん
ふじねえ先生とのエピソード
このような歩みの中で、自分にとって苦手なことがありました。それがデジタル社会の必須項目、ITを使うことでした・・・
そこで出会ったのが、たくさんの受講生の救世主と言っても過言ではない、ふじねえ先生です。
今、自分のしたいことをかたちにするには、現代ではどうしてもPCやスマホを使用しなくてはなりませんでした。その時も本当にご縁だと思うタイミングで(パンフレット作成にせまられていた(笑))『この方(ふじねえ先生)凄い!人間性も惚れてまう~☆彡』という方にzoomで出会いました。受講生として早5か月が経ちますが、IT知識以外でも人として大切な学びの多い内容に毎回惹きつけられています。
この出会いは、まさに引き合わせとしか言いようがありませんでした。そして自分の成し得たい方向性が間違いないものの後押しであると直感しています。
そうした中で、ふじねえ先生のHPに掲載いただける運びにもなり、感謝しかありません。
本当にありがとうございます。
この一つ一つの小さな歩みでも少しでも自分の役目が果たされますよう、今後も精進してまいります。
ふじねえがお勧めする理由
ともちんは、ある日私の目の前に現れ、その日からずっと私のことを
「ふじねえ先生」と呼んでくれる人です(^-^)
最初はパソコン関係が苦手な大人しい良い人。そんなイメージでした。
そのあと、ともちんの人生を聞かせてもらった時
「なんで、こんなにも大変な人生を送ってきたのに、こんなにスレてへんの!?」って衝撃を受けて。
でもね、よくよく思い返してみたら
「息子が元気で笑ってくれてるだけで本当に幸せだった」って話してくれた
この言葉が、ともちんを一番現わしてるんやろうなぁ。。って、思いました。
あと、ともちんが言う白い光のようなものって、多分、私がいつも撮ってるフォトンと一緒やと思うんです。
私は、医学知識もないし、レイキって肉眼では見えへんけど、
周りに何人も、ともちんのヒーリングで体調回復した人がいます。
あ、ちなみに私は舌にできた水膨れを寝てるうちに治してもらいました♪
一回体験してみてもらったら、その不思議な感覚の虜になるかも(^-^)